安来の歴史・文化
堀尾吉晴は1600年関ケ原の戦いの功績により浜松城12万石から家康の命で出雲隠岐24万石の城主になる。築城途中で吉晴が亡くなり、その遺言通り墓は富田城内にできた。
難攻不落であった尼子氏の居城跡。
山中御殿の西側にある巨大な土塁は高さ約6メートル、長さ約130メートルで、その外側の空堀は幅約10メートル、深さ約5メートルにもなる防御施設です。中世の城郭を色濃く残しています。
山頂部の最奥にある幅約20メートル、長さ約170メートルの曲輪。
太鼓壇と花ノ壇の中間にある曲輪には、書院造りの館があったと伝えられ、軍議や政務が行われたと考えられています。
北西に伸びる幅10~20メートル、長さ約120メートルの細長い曲輪は、馬の調練所であったと伝えられています。
日本最初の夫婦神「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」。
古事記によれば、イザナミは日本を生み、比婆山に埋葬されたといわれています。
6月10日から4週にわたり、全国6箇所で開催された予選会を突破された方が、安来市に集まり、安来節全国優勝大会に出場されます。
初日は少年の部、2日目は銭太鼓の部、最終日は師範の部等があり、各日とも楽しめます。
日頃、なかなかご覧いただけない妙技をぜひ、ご堪能ください!!