鉄・たたらの町鉄・たたらの町

先人たちの知恵と努力によって生み出された「鉄」は
古代より人々の歴史とともに歩みを進め、
私たちの暮らしの中でかかせないものとして存在しています。
安来市はそんな鉄づくりの歴史に深く関わり、
鉄の守護神を祀る「金屋子神社」の総本宮がある地。
エネルギッシュな鉄のパワーにあやかりに
いざ、鉄づくりの聖地へ。

古代からの鉄づくり
「たたら製鉄」とは

日本で鉄づくりが始まったのは6世紀後半ごろ。大陸から製鉄の技術が伝わり、古代・中世・近世と、試行錯誤を重ねながら進化を遂げてきました。
「たたら製鉄」とは粘土で作ったお風呂のような炉の中に砂鉄と木炭を入れ、風を送り燃焼させることによって鉄を生産する方法です。11世紀頃までは山陽地方で盛んに行われていましたが、11世紀以降になると生産地は山陰地方へと移り、最盛期の江戸後期から明治にかけては、全国の鉄の約8割が出雲地方を中心とした中国山地周辺で生産されていたそうです。

古代からの鉄づくり 「たたら製鉄」とは日刀保たたら(公益財団法人日本美術刀剣保存協会)

出典:和鋼博物館

地形を変えた!
砂鉄を取るための「かんな流し」

鉄の原料となる砂鉄を、岩石や土から採取する方法の一つが「かんな(鉄穴)流し」です。かんな流しの方法は、まず山に水路を引き、そこに切り崩した岩石を流し込みます。砂鉄を多く含む岩石は水路を流れるうちに破砕され、下流に流れていくと次第に砂鉄と土砂が比重の差で分離し、砂鉄だけを分けることができるというわけです。
流れ出した大量の土砂は河川下流域に流出し、堆積して一部の地形に大きな影響を与えました。市内を流れる飯梨川下流域に広がる安来平野なども、もともと海だったところが、かんな流しにより広大な平野が形成されたと言われています。

砂鉄を取るための「かんな流し」出典:和鋼博物館

出典:和鋼博物館

鉄の積出港として栄えた安来の町

たたら最盛期の江戸時代から明治初期にかけ、中海に面した安来港は鉄の積出港として栄えました。ここから全国へ多くの鉄が出荷され、各地域の産業の発展を支えていたのです。
現在の安来駅前から港に続く通りには、鉄問屋や回船問屋、料亭などの建物が立ち並び、町並みを歩くと北前船が行き来していた当時の賑やかな様子が浮かぶようです。
隆盛を極めたたたら製鉄ですが、明治時代に入ると西洋の製鉄技術により衰退していきます。しかし安来市はたたら製鉄の技術を継承し、「ヤスキハガネ」という高級特殊鋼ブランドとして今に受け継がれています。

鉄の積出港として栄えた安来の町

鉄の神様の総本宮「金屋子神社」

広瀬町には製鉄や鍛冶の神である金屋子神を祀った「金屋子神社」があります。天明4年に書かれた書物によると、金屋子神は播磨の国から白サギに乗ってこの地の桂の木に降り、人々に鉄づくりの技術を教えたと言われています。たたら場には必ず金屋子神が祀られ、桂の木が植えられました。その後も鋳物などの仕事に従事する人々の守護神として厚く信仰され、全国で1200社を数える金屋子神社の総本宮として知られています。

鉄の神様の総本宮「金屋子神社」

出典:和鋼博物館

やすぎ一口話やすぎ一口話

金屋子神はやきもち焼き?
たたら場は女人禁制

タフで男性的なイメージのある「鉄」ですが、鉄の神様「金屋子神」は女神様。しかし一説によるとあまり見目の良い女神様ではないため、女性がいるとやきもちを妬いて良質な鉄ができないとされ、たたら場などは女人禁制だったと言われています。

金屋子神はやきもち焼き出典:和鋼博物館

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