堀尾吉晴の墓(山中鹿介供養塔)(ほりおよしはるのはか やまなかしかのすけくようとう)

基本情報

住所
〒692-0403
島根県安来市広瀬町富田562

堀尾吉晴は、子の忠氏が1600年関ケ原の戦いの功績により、浜松城12万石から家康の命で出雲隠岐24万石の城主になったことから、共に富田城に入った。鉄砲等の発達により平城を求め、忠氏と松江へ移城を考え2カ所を選定したが、親子相違。その後、亡くなった忠氏が主張した亀田山へ決め、孫の忠晴を支えて松江城とその城下町を完成させた。城の完成を見届けて吉晴は没し、その遺言通り墓は富田城内にできた。

吉晴の妻(名前不明、松江では大方様と呼ばれている)は慈悲深い人のようで、松江城工事中は人夫さんに食べ物を配り鹿介供養塔も作らせ、巖倉寺にある色彩の厨子を1602年に寄進している。

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