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尼子一族盛衰記

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安来市広瀬町月山富田城を中心に、最盛期には山陰山陽十一州を従えた戦国大名『尼子氏』とは、どのような一族だったのでしょうか。

尼子氏は、近江(滋賀県)の京極氏の流れで元は出雲国守護代でしたが、経久の時代に守護京極政経に対抗して戦国大名として独立しました。経久に危機感を持った京極氏により富田城を追われますが、富田城奪回に成功し、山陰山陽一帯に巨大な勢力を築いていきます。

 

尼子一族系譜

 

尼子持久(もちひさ) 出雲尼子の祖

持久は守護・京極高詮(たかのり)の代官として月山富田城へ入城し、出雲尼子の祖となりました。

 

尼子経久(つねひさ) 山陰山陽十一州の太守

経久は守護京極氏から月山富田城を奪取し、のち勢力を拡大し、山陰・山陽十一州を治めました。

 

尼子国久(くにひさ) 武に長じた一門『新宮党』の党首

富田城麓の新宮谷に屋敷を構えたことから、『新宮党』と呼ばれました。国久は豪勇で武略に長け、率いる一族は外征などで活躍したため次第に奢った態度を取り、当主晴久との間に確執を生じます。そこを毛利元就に付け込まれ、対立するよう謀られて一族は晴久に討たれたと言われています。

 

尼子晴久(はるひさ) 中国地方一の大名になるも失速

中国六ヶ国の守護となり、尼子氏の領国が最も繁栄しました。しかし毛利領の吉田郡山城を攻め大内氏・毛利氏に大敗し、その後内政に力を入れ領国の統治を安定させました。『新宮党』の横暴な振る舞いを苦々しく思いながら功績を思い目をつぶってきましたが、毛利元就に謀られ『新宮党』を滅ぼし、尼子軍のさらなる弱体化を招いてしまいます。

 

尼子義久(よしひさ) 毛利氏侵攻により月山富田城落城

毛利元就の出雲侵攻を受け、富田城にて篭城戦を行うも、4年後に毛利氏からの和睦の申し入れを受け降伏、月山富田城は落城しました。義久を慕う家来達も散り散りとなり、幽閉された後、晩年僧となって余生を送ります。

 

尼子勝久(かつひさ) 尼子氏最後の総大将

『新宮党』滅亡の際に辛くも難を逃れ、京都で僧となって過ごしていましたが、尼子再興を計る鹿介ら尼子遺臣に擁立され、尼子再興軍の総大将となります。一時勢力を回復するも振るわず、羽柴秀吉の中国遠征に従いますが毛利氏・宇喜多氏に包囲され籠城し切腹。尼子氏再興の道は絶たれることとなりました。

 

山中幸盛(ゆきもり) 尼子再興に尽くした悲運の武将

通称山中鹿介(しかのすけ)。毛利氏の出雲侵攻で勇戦しましたが、月山富田城が落城し義久が毛利氏に下ると浪人となり諸国を放浪します。その後勝久を再興軍総大将に擁し領国奪回に奮戦しました。総大将の勝久が自害すると捕えられ、護送中に暗殺されました。「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと言われています。

 

尼子一族の繁栄と衰退

応永二年(1395)江州京極高詮の守護代として富田城に入り、出雲・隠岐両国を治めようと決意したのが尼子持久であった。
そして持久の子・清貞が家督を相続し、京極からの独立を図るが失敗に終わる。

 

二年後、清貞の嫡男・経久は富田城を攻め、富田城乗っ取りに成功した。さらに近隣諸国を次ぎ次ぎと幕下に加え、経久の体制は碓実に強化されていった。
しかしその中で、永正十五年(1518)経久の嫡男・政久は、阿用(大東町)にて討ち死にする。
大永元年(1521)尼子の武威は旭日昇天の勢いでのぼり、安芸・備後・備中・備前・美作・播磨・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐等、山陰・山陽十一ヶ国をその手に握り、尼子氏は全盛時代を迎えた。
天文六年(1537)尼子の基礎を築いた経久も孫・晴久に家督を譲る。天文九年(1540)には、郡山の城主・毛利元就の叛逆が増長するをみかね、元就征伐のため晴久は郡山城へ軍を起こした。
翌年、経久の片腕として尼子氏繁栄に尽力した弟・尼子下野守義勝は、毛利との合戦で戦死する。

 

天文二三年(1554)経久の二男・国久を長とし、尼子氏のなかで最強の軍団・新宮党に目を付けた毛利元就は、謀をめぐらせ晴久と仲たがいをさせ、国久・誠久父子は晴久に殺害される。
こうして新宮党は族滅、ただ一人誠久の三男・孫四郎が落ちのびたのである。

 

永禄五年(1560)晴久頓死により、嫡男・義久が跡をつぐが、新宮党亡き後、戦闘能力の激減した尼子氏は山中鹿介を中心とする尼子十勇士の活躍も及ばず、永禄九年(1566)ついに毛利の軍門に降り、富田城は落城する。

 

山中鹿介等浪人たちは、新宮党滅亡の際、ただひとり落ちのびた孫四郎勝久を大将と仰ぎ、永禄十二年(1569)織田信長の力を借りて尼子家再興の宿願を果た さんと図るが力及ばず、天正六年(1578)勝久は上月城で自害してこの世を去り、鹿介もまた備中甲部川にて殺害される。

 

こうして尼子家再興の道は絶たれ、尼子氏繁栄百八十年の幕を閉じる。

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安来市観光協会 広報部

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