月山富田城跡

史跡・名所
【施設概要】

月山の一帯にあり、山陰・山陽十一州を手中に収めた尼子氏歴代が本城とし山陰・山陽制覇の拠点とした月山富田城は、その規模と難攻不落の城として、戦国時代屈指の要害でした。また艱難(かんなん)辛苦に耐える悲運の武将・山中鹿介の出た城として有名です。
 この城を築いたのは、保元・平治のころ(1156~1159)、平家の大将悪七兵衛平景清であると伝えられていますが、その他に佐々木高綱や同義清などの諸説がありいずれも明らかではありません。しかし築城は長寛から文治年間(1163~1189)の頃と推定されています。

 

 難攻不落の要塞城と言われており、主家への忠義を貫いた山中鹿介の銅像や供養塔、随所に残る石垣や石畳の古道が往時の面影を伝えています。1934年に国の史跡に指定され、2006年には「日本名城100選(65番)」にも選ばれています。

 

 月山富田城は菅谷口、御子守口、塩谷口の3方面からしか攻められず、城内郭の下段が落ちても、中段の山中御殿で防ぎ、そこが落ちても、主山の月山に登って防ぎ、頂上には堀を築き、守りを固め、一度も落城しなかった天下の名城として知られています。

 

 この月山には、平時は時を告げ、非常時は兵士を招集する太鼓があったという太鼓壇(たいこのだん)という場所があります。現在は春になると、たくさんの桜が咲く名所となっています。

 

鎌倉幕府の成立によって、出雲守護に任命された佐々木義清が富田城に入ってから、鎌倉時代後半に守護が塩冶大廻(えんやおおさこ)城に移ったことはありましたが、南北朝時代には山名氏、室町時代には京極氏と、歴代の守護の居城となりました。

 

 月山富田城が最も華やかであったのは、京極氏の守護代であった尼子氏、中でも尼子経久(つねひさ)の時代です。
  経久は、下克上の戦国期に守護代の地位から守護京極政経に対抗して戦国大名として独立しました。経久は、この対立から富田城を追われましたが、文明18年(1486)に劇的な富田城奪回に成功したと言う逸話が残されています。その後出雲諸城はもちろん、天文10年(1541)に84歳で没するまでに山陰・山陽まで領し、最も繁栄しました。
   経久の後を継いだ尼子晴久の代には安芸の毛利元就に侵攻され、永禄9年(1566)尼子義久の篭城戦の末富田城は開城しました。

月山富田城跡 等高線図はこちらからダウンロードできます。

【施設情報】
〒692-0403島根県安来市広瀬町富田
TEL 0854-32-2767(安来市立歴史資料館)

安来ICより車で20分
安来駅より車で20分
イエローバス・観光ループ「月山入口」下車

あり(※広瀬絣センター)