西暦(年) |
できごと |
1391 |
山名満幸の代官塩冶駿河守が富田城について語る(『明徳記』)。 |
1467 |
応仁の乱起こる。出雲・隠岐守護京極持清は東軍、石見守護山名政清は西陣となる。この頃以前に尼子清貞、持久から守護代を引き継ぐ。 |
1468 |
清貞、十神山城主松田備前守と戦う。 |
1476 |
松田三河守などによる能義郡土一揆が起こる。 |
1508 |
京極政経(政高)、吉童子丸に守護職を譲る。この頃尼子経久が事実上の守護権を継承か。 |
1540 |
尼子詮久、毛利元就を討つため富田城を出発し、群山城を攻める(群山合戦) |
1541 |
詮久、出雲へ撤退する。詮久、名を晴久と改める。経久死去。 |
1542 |
大内義隆、出雲攻略のために周防を発つ。大内義隆による富田城攻め。 |
1543 |
月山来攻の大内義隆大敗し、出雲を退去。 |
1552 |
晴久、将軍足利義輝より、出雲・隠岐のほか、因幡・伯耆など中国八か国の守護に補任される。 |
1554 |
晴久、新宮党を滅ぼす。 |
1556 |
晴久、毛利氏を破り石見銀山を奪取。 |
1562 |
山吹城主本城常光が毛利氏に降伏し、石見銀山が毛利氏の支配下になる。毛利元就、出雲国へ侵攻する。 |
1564 |
毛利氏、月山富田城を包囲する。 |
1566 |
尼子義久が富田城を開城し毛利氏に降伏。義久と弟の倫久、秀久は安芸へ送られる。 |
1567 |
天野隆重、富田城在番となる。 |
1568 |
富田(毛利)元秋(元就5男)、富田城在番を命じられる。 |
1569 |
尼子勝久、山中鹿介らの尼子再興軍が出雲へ侵攻、月山富田城を攻撃。 |
1570 |
山中鹿介ら尼子軍と毛利軍が布部山で戦い、尼子軍敗れる。 |
1581 |
羽柴秀吉の鳥取城攻めに対し、毛利輝元が富田城に在陣する。 |
1585 |
毛利元秋、月山富田城で病死する。末次元康(元就8男)、毛利輝元より富田城在番を命じられる。 |
1586 |
末次元康、月山富田城に入城する。 |
1591 |
吉川広家、出雲2郡・伯耆3郡・隠岐一国などを与えられ月山富田城に入城。 |
1592 |
豊臣秀吉、朝鮮へ出兵(文禄の役)。広家も従軍し朝鮮に渡る。 |
1597 |
秀吉、朝鮮へ再出兵(慶長の役)。広家、蔚山城の戦いで活躍。 |
1600 |
関ヶ原の戦い起こる。家康率いる東軍が勝利。吉川広家、周防国岩国へ転封される。堀尾忠氏が父吉晴とともに出雲、隠岐国主として入城。 |
1604 |
堀尾忠氏死去。 |
1607 |
松江城の築城始まる。 |
1608 |
堀尾吉晴、建設中の松江城内へ居を移す。 |
1611 |
吉晴、死去。松江城完成。 |
1615 |
一国一城令発布。この頃富田城廃城か。 |
1666 |
飯梨川大洪水。現在の広瀬町の街付近を流れていた飯梨川が氾濫し流路を西寄りに変え、城下町は川底に没した。 |
1934 |
国史跡に指定される(史跡富田城跡) |
1966 |
この頃から飯梨川川底の城下遺構が露出し、発掘調査が行われる(富田川河床遺跡) |