安来の歴史・文化
堀尾吉晴は1600年関ケ原の戦いの功績により浜松城12万石から家康の命で出雲隠岐24万石の城主になる。築城途中で吉晴が亡くなり、その遺言通り墓は富田城内にできた。
山中御殿の西側にある巨大な土塁は高さ約6メートル、長さ約130メートルで、その外側の空堀は幅約10メートル、深さ約5メートルにもなる防御施設です。中世の城郭を色濃く残しています。
山頂部の最奥にある幅約20メートル、長さ約170メートルの曲輪。
北側から三の丸方向を眺めると、切岸に加工された急峻な崖を確認することができ、攻め手を寄せ付けない造りになっています。
七曲りを登ると最初にある曲輪が三の丸。幅約30メートル、長さ約100メートル。段築石垣が築かれており吉川時代のものと思われます。
太鼓壇と花ノ壇の中間にある曲輪には、書院造りの館があったと伝えられ、軍議や政務が行われたと考えられています。
北西に伸びる幅10~20メートル、長さ約120メートルの細長い曲輪は、馬の調練所であったと伝えられています。
日本最初の夫婦神「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」。
古事記によれば、イザナミは日本を生み、比婆山に埋葬されたといわれています。